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ナリタノヒトビト -「パブラウンジ エミ」オーナー 金澤 茂さん

成田といえば、成田山新勝寺を思い浮かべる方も多いかもしれませんが、見どころは新勝寺だけではありません。成田には、訪れる方々をおもてなししようと活動している人達も沢山いるので、ぜひ彼らのことも知っていただきたいのです。
ここでは、そんな彼らを「ナリタノヒトビト」としてご紹介します!

 

今回のゲストは「パブラウンジ エミ」オーナー 金澤 茂さん。成田山表参道沿いの路地裏で60年以上続く、歌って弾いて飲めるラウンジを経営されています。お店の移り変わりと今後の目標について、詳しくお話を伺いました。

ーまず、これまでの経歴を教えてください。ー

成田生まれ成田育ちでずっと成田ですね。
このお店はおふくろの代で終わりにして、僕は就職するつもりで大学まで行かせてもらったんだけど、大学3年のときに親父が死んじゃったもんで、急遽継ぐことになって。店だけだったらやってなかったんですけど、小売販売の氷屋さんもやっていたので、大学卒業と同時に継ぐことになりました。

エミは昭和34年、トリスバーエミの名前で母がはじめたお店です。ハイボール1杯80円の時代、毎日通われる常連客様で日々楽しい時代でしたと、93歳になる母が語ってくれました。
でも今までのおふくろのやっていた店のやり方では継ぐのは嫌だと思っていたんですよ。女の子で商売する店は俺にはできないとね。継ぐ条件として、おふくろの引退と働いている女の子の従業員全部やめてもらって、女では商売しない形でやらせてくれということで。

それでおふくろの了承を得たもんで、成高(成田高校)のサッカー部のOBチームの監督をやっていたので、男の子のバイトには事欠かなくて、お前ちょっとかっこいいやつ、ちょっと働けバイトしろと(笑)最初は不安だったんですけど、成田は女性客が多い土地柄なんですよ。別に女の子がいなくても、女性客男性客の団体で飲みに行く場所としてけっこうハマってくれた。航空関係のお客さんもけっこう増えて、女の子はいらないなと。それからまあずっとそんなかんじでやって。

成高サッカー部のOBチームでは自分でも選手としてやってたんですけど、50歳くらいになったらさすがにサッカーができなくなって、次の趣味は何しようかなと思ったときに、ギターを。

ー50歳からなんですか?ー

僕ギターやったの50歳から。それで店の形態もちょっとずつライブハウス的になって。一時はプロの弾き語りの歌手を雇ってた時代があったんですね、僕はまだ弾けないから。その方に5年くらい働いてもらってたんですけど、事故で亡くなっちゃった。

その時までは、その方はプロの歌手だったから、自分から弾く形ではなかったんです。聞く形ってことで。でも亡くなってしまって、じゃあ俺がかわりにやろうかなと思ったら、周りのお客さんが、マスターくらいだったら俺もできるってなって(笑)それは逆に良かったぞ、お客さんが参加するかたちにうまく変わってくれました。

今では成田弦まつりを発表会にして、ライオンさんを借りて、ここ15年くらい年に1回、それに参加することを目標にして、現在に至ってますね。

ー開店当時はお酒が飲めるだけのお店だった?ー

トリスバーエミ、スナックエミ、そしていまのパブラウンジエミ。その都度形態も多少変えながら今に至ってますね。

ーエミという名前は?ー

母親の名前です。今もよくエミさんどこにいるの?って聞かれるのですが、呼んできましょうか?93歳ですけどって(笑)

ー金澤さんご自身が好きな成田のスポットはどこですか?ー

僕ね、エミが大好きで、ほとんど外出たことないんですよ(笑)
今までは毎週休みあったんですけど、気がついたら外飲みに行くよりもここでお客さんと飲んでたほうがお金はぜんぜんかかんないし、本当に客層がいいんですよ。安い割にはいいですよね。

ー路地の奥なので一見さんは入りにくいのかもしれませんね。ー

大体常連で、初めてきたひとはだいたい誰かの紹介ですね。

ーこれから未来に向けてどのように活動したいですか?ー

今後も僕が一番楽しめる店であってほしいですね(笑)

ー読者のみなさんにメッセージをお願いします。ー

飛行機と伝統と歴史と近代化、すべてを味わえる街だと思います。それを感じていただきたいです。

  2023/12/27